この世は「弱肉強食」だ!(勝つことで社会に貢献しよう。)

塾長雑感 2017年4月

 

生徒のみなさんへ

 

 皆さんは「エスペラント語」とか「コスモポリタン」という言葉を知っていますか。エスペラント語とは「世界共通語」コスモポリタンとは「世界市民」という意味です。どちらも国境を越えた「戦争のない世界」という理念をその根底に持つ言葉です。

 塾長が少年期にすでにあった言葉ですが、当時は米ソの冷戦時代、核戦争の現実に向き合っていました。しかし今もまだ国家間の対立がなくならない。でも我々は常に明るい未来を信じていつかきっと平和な世界が来ると信じています。

 

 でも、塾長はそれは少し楽観的すぎるのではないかと思っています。戦争がこの地球上からなくなるのは当面無理だ。人類もサルから進化した一つの種にすぎない。動物たちの世界を見てください。「弱肉強食」だ。人間だって動物の肉を食べなければ生きていけない。サラリーマンとなっても、自分の出世のために他人の足を平気で引っ張る。そもそも高校入試自体が「弱肉強食」だ。しかし我々は、肉を食わずには生きられぬわけだから、この宿命を肯定したうえでよき良き社会人となり良き人生を追及するしかない。

 

 なぜ神は、このような他者の犠牲のもとでしか自己の存在を維持できないような世界をこの世に創り給わったのか。神は存在しないと考える方が合理的だ。塾長が考えるには、それが最も生物の進化に好都合であったという「自然摂理」にすぎない。環境に最も適した種のみが生き残れるという「競争原理」が生命を進化させ文明を開花させた。今の世はあらゆる種においてそれぞれの環境で生き延びた勝者のみの世界だ。優しいだけの男は他者の犠牲となり、弱者として社会の底辺で生きるしかない。しかしそれでも社会全体、国家、世界的視野に立てば、勝ち抜いた者たちが作った社会はさらに進展し文明は進む。それが自然の摂理だ。

 

 最近、憲法改正論議がかまびしいが、現憲法はこの「弱肉強食」の視点に欠けている。「日本国民は、恒久の平和を念願し・・・平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した。」 残念ながら日本周辺の国々のどこに「平和を愛する諸国民の公正と信義」があるといえるだろうか。戦えない自衛隊がゆえに「竹島」を奪われ、「尖閣」も危うい、「沖縄」さえも危うい。

 

 君たちは他者に勝たねばならない。それが家族の地域の香川のいや日本の幸せに寄与するならば、あえてこの競争社会で君たちは勝者とならねばならない。少なくとも負けてはならない。やられたら「100倍返し」。それでいいと思います。

 

「1日1歩で1年後に300メートル」

塾長雑感     2017年1月

 

生徒の皆さんへ

 

 新年おめでとう!

 今年はどんな年になるのでしょうか? 確かに塾長が君たちのころの日本と今の日本とは激変している。でもこの程度の変化は昔の塾長の想定内だ。残念ながら月にはまだ宇宙基地はできてはいないが、有人ロケットが近い将来火星に向かって飛ぶ。

 でも今から50年後を塾長は想像できない。あまりにも科学技術の進歩が速すぎて、我々の想像力を超えてしまうからだ。その予測を不可能にするのはAIの進歩だ。コンピューターが勝手にビッグデーターなどを解析し(これをデープラーニングという。)、新しい発見や発明を人間の指示なしで行う時代にすでになった。サムソンのスマホが爆発するという事件があったが、いまだに原因が分からない、一説によると、AIがスマホを自動設計しているので、何処に原因があるのか人間には分からないのだという。

 

 その制御不能なAIとバイオテクノロジ-が、人類の脳を改造し、肉体を改造する。そういう時代の中で、いかに人間同士の信頼を維持し同じアイデンテイテイをもち、共通の価値観・理想を共有できるだろうか。それさえも疑わしい時代が来るかもしれない。AIとバイオテクノロジーの進化で、新人類が誕生し、旧人類と価値感が二極化する危険性がある。そしてその結果は新しいテクノロジーを身にまとう新人類の勝利だろう。

 

 50年後を想像しても塾長はこの世界には存在していないのだから、鬼が笑っているだろう。今想像すべきはべきは10年後であり、考えるべきは1年後であり、そして何より大事なのは今日・明日の問題をいかに解決していくかだ。そこを一つ一つ真面目に解決していくその先に、未来がある。1年の計は元旦にあり、一度に100歩は前進できないからまずは今日の1歩だ。確実に1歩1歩歩んだ者だけが、ゴールにたどり着ける。1日1歩づつ。1年後には300メートルも進んでいる。今一緒に並んで歩いていた友が1年後自分の300メートル先を歩んでいる。そんなことにならないように塾長も肝に銘じたいと思います。

 

 さて、3年生は4月からは高校生です。一つだけ助言するとすれば、高校はあくまでも通過点だたといううことです。実は塾長もそうだったのですが、高校に入ると「勉強」に対する意識が希薄になるということです。大学を目指していても、その切迫感がない。でアッというまの3年間が終わり、残念ながら学力は中学生のまま、ということが多いのです。だから高校に入っても、もし成績が悪ければやはり危機感をもって対処しなければなりません。だから高校進学後もやはり、この今の受験勉強の気持ちと習慣を続けなければならない。塾長はそれができなかったので後で大変なことになりました。やっぱり高校に入っても定期テストでよい成績をとり続けるというのが、結局大きな目標に一番早くたどり着くことになります。定期テストで悪い成績をとった場合には、早く対処しなければなりません。

 志が高いのはいい、しかし浮ついた気持ちではその志は果たせない。「千里の道も一歩から」まず「今日、一歩前に確実に進む。」夢を語るだけの人は、結局1日1日少しずつ歩む人には負ける。

 

 今年は去年よりもいい年になります。なぜならば君たちは去年多くのことを学び経験してきたからです。この経験をしっかりと自覚して今年もさらに良い年にしましょう。(塾長も含めて。) 

 

「グリア細胞をクリーンにしよう」

塾長雑感         2016年11月              

 

(生徒のみなさんへ)

 

 先月号の集中する技術の中で、やる気が出ない時は15分か30分くらい目を瞑って、寝れるなら寝るほうがいいと書きました。

 実は大脳の中には神経細胞(ニューロン)以外に、ゼリー状の細胞があり、最近までこの細胞の働きがよくわかりませんでした。これは「グリア細胞」とと呼ばれていますがが、最近このグリア細胞が健康でないとどうも頭がうまく働かないことが分かってきました。実は頭を使いすぎたり、雑念で心配事があったりすると、このグリア細胞にごみが貯まり頭の働きが鈍くなるのです。

 このごみを除去するのためには、睡眠または「ぼーっ」とするのが一番いいらしいのです。「ぼーっ」とするとグリア細胞のごみがなくなりクリアーになってくる。そうするとシナプスが増殖・活性化し、脳内電流もスムーズに流れるわけです。

 

 だから、実は勉強のし過ぎというのは頭を悪くさせる可能性がある。スポーツ選手には頭の冴えた人が多い。これは、いわゆる運動中枢を動かし、その間に勉強で使う中枢神経を休めているからともいえる。だから勉強をあまり根を詰めて、また悩み事があって頭を休めることができていない人は、うまく頭を回転させることができない。

 

 先月号で、寝るときには、自分の呼吸に集中すると早く眠れるという話をしました。眠れない人はつい今日あった出来事を思い出して、寝れなくなる。そういう人はぜひ自分の呼吸している音に集中してみてください。眠れます。これができるようになると、「ぼーっ」とするのも得意になります。

 これは座禅の精神です。無念無想の境地。何も考えない訓練。これを毎日やってみると、頭が常にフレッシュで疲れていてもすぐに疲労回復できます。目を瞑っていても雑念がわく状態は、ちっとも休憩にはならず、逆に疲れるだけです。

 

 これができるようになると、不思議なことに毎日に活力がわいてくる。今に集中するわけだから、やる気が起こってくる。過去ことなんぞ考えないから、生き方に迷いがなくなり毎日が楽しくなる。過去のことや将来のことを考えるのは人間の特権ですが(このおかげで人間は前頭前野という人間にしかない脳を獲得しました。)これが、災いとなることもあるわけです。人間以外の動物は今という時間にしか生きていませんが、人間だけは未来のことを考えて行動できる。でもそれが毎日を苦痛なものにしている。犬や猫が将来の自分に悲観して自殺しますか?

 

 心理学者に「アドラー」という人がいます。彼はユングの弟子だったのですがユングの説は誤りだと主張して新しい心理学を打ち立てます。ユングは過去の経験に注目して、過去の集大成として現在の自分があるのだと主張しましたが、アドラーは過去の経験は今の自分にとっては本当は無価値であって、将来の自分の「目的」にこそ今自分が行動すべき動機(原因)があるべきだと主張しました。過去の自分に取れらわれた発想では、過去の延長線上での自分の未来しか描けない。つまり過去のトラウマはよく自分の人生を大きく変えてしまい、そのせいで自分は今不幸だし将来も不幸だと思う。しかしアドラーは過去をトラウマだとその人が思うから「トラウマ」であって、それはあなたの解釈に過ぎない。というわけです。

 

 過去のことにとらわれても自分の人生が好転するわけではない。唯一、自分の将来の目的や夢に焦点を合わせ、今に集中する事。その重要性をアドラーは唱えています。つまり過去の雑念を払う技術、それが「何も考えずにぼーっ」とすることなのです。それがグリア細胞を透明できれいな細胞組織にして、記憶力も思考力もよくなる。過去のあなたの悲しいと思っている実体のない経験(トラウマ)があなたの能力を生かしていないのかもしれません。つまり、成績のいい人は雑念がなく今に集中できる人とも言えます。だからあまり勉強勉強と勉強に縛られすぎると、逆に勉強できなくなる。だからこそ気分転換や軽いスポーツ、おしゃべりも大事なのです。そしてその集中力を高める一つの技術が真剣に「何も考えずにぼーっ」とすることだと塾長は思います。

 ただしいつも言っているように、ぼーっとするときはタイマーで15分とか20分とかにしましょう。それで十分頭の中のごみを掃除できます。

 

念ずれば花開く

    塾長雑感     2016年8月

 

(生徒のみなさんへ)

 

 

 昔ある校長先生が入学式で言っていたことを思い出します。「念ずれば花開く。自分の願望、将来私はこんな職業についてこんな事をしたい。強く強く願望を念じなさい。きっと将来その夢は実現します。」

 願望実現法の一つとして「願望を潜在意識(無意識)にたたき込む」という方法があります。自分の自己イメージを変えれば、潜在意識が自己イメージどおりの自分を実現する、という手法です。確かに長島英雄はホームランを打つ前から、ホームランを打つ自己イメージがあり、あの「天覧試合」で劇的な逆転ホーマーを天皇陛下の前で打ったという有名な話もあります。

 

 塾長もこの手法「マーフィーの法則」「阿頼八識」「クンダリーニヨガ」「チャクラ」「カバラーの生命の木」「空海の虚空蔵求聞持法」などについては興味があって調べたことがあり、実践したことがあります。どれも自分の理想とする自己イメージを潜在意識に植え付けるという手法です。もちろんそれぞれに細かい手法(ノウハウ)があるのですが、簡単にいうと「念ずれば花開く」です。つまり強く念ずれば必ずその願望は実現化するというものです。確かに人類が築いてきたこの文明のすべての人工物(ビル・橋・道路など)は全て個人のイメージが現実化したものです。

 

 というわけで、塾長も実践したわけです。自分の願望を自己イメージに投影するために相当な時間をかけました。でその願望が実現されたかというと、0です。でもなぜ実現しなかったが今は分かります。この世界って「精神世界」じゃない、ということです。いくら心の中に「黄金の世界」を創っても、他人からは全然見えないし、この生身はやっぱり外見上は変化していない。

 

 結論を言います。「池に石を投げろ」ということです。「行動しろ」ということです。例えば「私は○○高校に絶対に合格したい。」毎日瞑想して「自分が○○高校に合格している姿」を完璧にイメージできたとして、果たして合格できますか?という事です。誰でも分かりますよね。 「勉強しなければ受からない」ということです。この世は「物質世界」です。「念じても花は開かない」。死後の世界なら精神世界かもしれないから、念ずれば花開くかもしれない。でもこの世は「物質世界」です。合格したいなら勉強するしかない。宝くじに当たりたいなら買わなければ当たらない。政治家になりたいなら立候補しなければならない。結婚したいなら告白しないとだめだ。好きです。好きですと100万回心の中で唱えても無駄だ。そのうち自分の想いが相手に分かってもらえる。幻想だ。

 

 塾長はこんな事がずっと分かりませんでした。今もひょっとするとまだ分かっていないかもしれない。自分の外の世界に石を投げること。簡単に言うけど石を投げるには勇気がいる。でも自分の周囲に自分の意志を伝えなければ何も起こらない。「沈黙は金」「以心伝心」「陰徳を積む」全部君のためにはならない。

 

 「石を投げないと何も起こらない」「考える前に実行せよ」「友人に親に自分のしたいこと真剣に話せ」 昔の若かった塾長に本当に言いたいことです。

 

人生で出世するには

 

                                   塾長雑感      2016年7月

 

生徒のみなさんへ

      

 塾長は、以前は組織人でした。つまり企業や役所という組織の中で長く働いた経験があります。どちらが長いかと言うと組織人としての人生が長いです。前回、「若い時の自分にアドバイスしたいことは山ほどある、本当に山ほどある」と言いました。 若い頃の塾長は、自分にプライドと自信がありすぎて、自分一人で何でも解決できるし、人に頼るというのは自分のポリシーではありませんでした。自分ががんばっていれば、いつか認めてくれる人が現れて出世できるはずだ。そう思っていました。まして「コネ」を使ったり、ゴマをすって上司の機嫌をとるなんて、人としてどうだろう?それって人としてすべきことではない。正しいことを一生懸命していれば、きっと報われるに違いない。そんなふうに思って「全力」で生きてきました。

 

 今その昔の私にアドバイスするとすれば、組織の中で生きるのなら、まず最初に尊敬できる人を見つけ「とことんその人のために全力で尽くせ」ということです。

 

 「一人で事を成す」、「一人で出世すると」いうのはなかなかに困難です。なぜならこの人間社会は元々一人では生きていけない「組織社会」だからです。だとすれば「組織」の中でいかに自分を成長させるかを考えねばなりません。その手っ取り早い方法が「弟子」になることです。弟子になりその人のために全力を尽くすことこれが塾長が考える出世(幸福?)になれる一番のおすすめです。

 

 ではその「弟子になるべき人」をどうやって探すか?極論を言えば探す必要はないのかもしれません。なぜならそんなすばらしい人物なんて「金鉱山」を探すようなものだし、その人でよかったかどうかなんて、未来のことだから分からない。 だから、もし君が将来組織に所属するなら、嘘でもいいから今の上司に「誠」を尽くすことだ。自分の魂を売る覚悟くらいでちょうどいいかもしれない。そうすれば必ずその人は君のために力を貸してくれる。力を与えてくれる。そして気がついてみるといつのまにか出世している。

 

 ただし、その人が君のことを「こいつは俺の代わりになって活躍できる能力と人徳がある」と思ってくれなければ、ただの「ごますり」になってしまう。だから、弟子になるには弟子として認められる「人間力」を養わなければならない。これは学力を含めた人間としての総合力だ。だから将来出世したいなら、毎日を無駄にせず、自己形成に努力しなければならない。組織人として活躍できる素養・能力を付けることが大事だと思います。

 秀吉も竜馬も家康もみんなそうやってチャンスをつかんだんだ。 実は先生の親父もこれで出世したと言っていた。

 

 塾長は残念ながら組織人ではなく、上司という者がいない。だから本気でついていける人がいないというのが悩みだ。今からでも探そうと思っています。そしてとことんその人のために尽くす。できることを全力でやる。そんな人生も素晴らしい人生の一つに違いない。